信玄の信濃攻略の大きな転機となった小笠原長時との合戦がここで繰り広げられました。塩尻峠に陣を敷いていた長時の軍勢は五千。武田軍は大井の森までゆっくりと進軍してきたため、戦の開始までまだ余裕があろうと小笠原軍は油断してしまいました。ところが夜明けとともに信玄は一挙に塩尻峠に奇襲をかけ、敵に致命的な打撃を与えたのです。
現在柿沢地区には、武田軍により首実検にされた戦死者を村人が埋葬した首塚・胴塚が残されています。長時はこの合戦以降、信玄に負け続け、林城、深志城を明け渡し、村上義清を頼ることになりました。