天正十年三月高遠城主仁科五郎盛信(武田信玄の第五子)は三千人の城兵と共に、城を囲んだ織田勢五万人の大軍と激戦を繰り返し、ついに全員壮烈な戦死を遂げた。時に盛信二十六才であった。
戦いが終わって、織田軍が引き上げると勝間村の農民たちが信盛以下諸士の屍を探して持ち帰り、村の若宮原で火葬にし、この山に埋めた。墓のあるこの山は以来、五郎山と呼ばれるようになった。
五郎山にある盛信の墓は高遠城を見下ろす。全国的に名高い高遠城址の桜の花の色が赤いのは、この時散った彼等の血の色が映るのだろうと伝えられている。