天文二十三年(1554)武田信玄の率いる武田軍は、小笠原氏の鈴岡城を攻め落とし、その勢いをもって下久堅の文永寺を焼き払い、竜東の雄、諏訪氏の流れの知久頼元の居城、神之峰攻略のためここに立った。武田の将、山本勘助は霧の晴れ間に床山城を眺め、この山城は水を断つことが一番と計略し、眼下の玉川に兵を出し、城兵が水汲みに来たらと待ち受けていたが、五日たち六日たっても一人として城兵は現れなかった。
そうこうしていると、ある日の午後、神之峰の出丸の岩頭に兵が集まって馬を洗っている姿が眺められた。実は城兵達は白米を使って馬を洗っているように見せたのを武田軍は水で洗っていると思ったのである。これ程場内には水がたくさんあるのか、それなら今までの兵略は無駄であったのかと思い、さすがの智将山本勘助も、ジダジダを踏んで口惜しがったという。そのためこの地をジダジダ峠と称し、草木も育たぬ所となったという。(飯田市・上久堅観光協会)