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全国に1万以上の摂社末社を持つ諏訪神社の総本社。古くから農耕や勝負、家内安全の神として信仰されています。諏訪湖の南に鎮座するのが上社本宮(諏訪市中洲)。前宮(茅野市宮川)は本宮の前身と伝えられ、諏訪盆地を望む景勝地にあります。
武田家とのつながりも深く、信玄は合戦のたび、「諏訪南宮上下大明神」と書いた幟を立てたり、また神社の祭事再興の具体的な指示を「信玄十一軸」として送るなどしました。
諏訪大社上社に属する摂社。天文十一年(一五四二)年、諏訪頼重との戦いの際に、武田信玄がこの辺りに本陣を敷いたとされます。地元の人には、数え年二歳の厄除け祈願の明神様として親しまれています。
日本最古の神明造りの建造物で、本殿、中門、釣屋は、国宝に指定されています。安曇野地方を治めた正統仁科氏を滅した後、名族を惜しんだ信玄が五男・盛信にその姓を継がせました。
信玄の重臣で勘助を庇護した板垣信方のお墓が板垣神社にあります。
役小角が創建したと伝えられる修験場。戸隠、飯綱と共に北信三大修験場として栄えました。弘治三(一五五七)年、上杉謙信が戦に勝ったら寺領を寄進すると願文を捧げました。
焼失を免れた奥社は国重要文化財です。
平安中期の延喜式にも登場する大社です。
弘治三(一五五七)年、武田軍との合戦を前にした謙信が信玄討伐の加護を祈った願文を奉納したと伝えられています。
飯綱山に祀られている飯縄大権現は、不動明王の化身とされ、戦国大名の守護神。
謙信は兜の前立てに飯縄明神像を使い、信玄も持仏として身につけていたと言われています。
平安時代から修験道の霊場として都にまで名を馳せ、戦国時代には甲越両軍の争乱に巻き込まれました。
信玄が戦勝祈願をしたといわれる中社には、信玄の願文などが残されています。奥社へ続く参道の杉並木は圧巻です。
「啄木鳥の戦法」失敗の責任を感じ、敵陣に身を投じていった勘助の最後は壮絶であったと伝えられています。ここに建っていた真木神社を後に勘助宮と呼ぶようになりました。
現在は、長野オリンピックスタジアムがある南長野運動公園の南西に石碑が建っています。
佐久地方の総社で古来より武将の崇敬を集めた。上州攻略の際、信玄が奉納した戦勝祈願文が残る。境内の御魂代石は耳を当てると諏訪湖の水音が聞こえるという。
川中島の戦いを前に、信玄が戦勝と謙信滅亡を祈願した古社。信玄が家臣の武将らに忠誠を誓わせた起請文も県宝の歌舞伎舞台に展示されている。下社脇の夫婦欅は真田信之と小松姫の夫婦愛の象徴であり、子宝安産・夫婦円満・延命長寿のご神木として崇められている。
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